Mtvの日常

最終話【さよならと言う名の第一歩】

2月5日(土)およそ午前5時 老衰

ばあちゃんは眠るように天国へ行きました⛅️

まずは皆様にお礼を言わせてください

ばあちゃんの為に色々と本当にありがとうございました!

今回、コロナの影響で来れなかった家族関係者や応援くださった方々へ漏れ無く伝えたかったので

YouTubeのコミュニティやインスタ、Twitterにて報告とさせていただきました。

また、最終話ではMtv初期で使っていた思入れのある2曲を使用しております

ばあちゃんはかなり頑固で気が強くよくじいちゃんとも喧嘩をしていたようです

見るものは基本的に試合が好きで

一緒に格闘をみたり一人にさせるときはYouTubeで相撲をテレビにつけておいたりしていました

見ては「負けんな!がんばれー!」ってよく一人で声出してたな〜

あとは子供が好きでテレビに映ったら必ず「可愛いね」ってこっちを見て話してきてました

息子である(俺から見た父)おとんに対し

子離れができなかったのかどこ行くにも一緒だったようで

母にとってはちょっとしたライバル的存在だったようです(笑)

食べ物は魚と味噌汁がテッパンでお肉や寿司ではウニやいくら

飲み物はお酒かジュース(サイダー)とかが好きだったイメージ

俺と好みが似ていたので特にウニ、いくらは軽く取り合いしてたかな〜笑

昔はあまり甘いものが好きな感じはなかったかなと

ちなみに俺がチョコ好きになったのは小さい時にばあちゃんが俺にチョコをあげたらかなり喜んだようで毎日毎日食べさせていたかららしい

両親が仕事でいない中

そこら辺出かけたりかまってくれたのがばあちゃん

つまりばあちゃんっ子だった!

小学生の時、白髪が出始めた頃には1本抜くごとに0,5円と言うプチアルバイトもさせてもらった笑

結局本数関係なく200円くれてそれでよく駄菓子屋にも行ってチョコを買ってたな〜

散髪の時も必ず一緒にきてくれてたな〜

切り終わったら「ん〜さっぱりして良くなった」って毎回言ってた

俺はとにかく自由が欲しいと思う人間で家にはあんまり居たくなくて

小学生ながら夜出ては高校生が溜まってるとこに行って一緒に遊ぼうって言ってた

育つに連れそれはエスカレートして高校生になるとよく閉め出しをくらってたけど、ばあちゃんが必ず「入れ」ってこっそり入れてくれてた

早朝のアニメで見たいものがあればばあちゃんの部屋に泊まって

起こしてもらってそのまま見てた

高校を卒業すると即東京に俺は出て

年1回、もしくは2、3年に1回のペースで実家に帰宅していて会う機会は少なくなった

そんなたまーに帰った時にはまとまったお金をくれていた

それは少ない年金をコツコツ貯めたもので

「これ帰ってきた時にあげるんだ〜」って嬉しそうに言ってたと後から母に聞きました。

3人兄弟の中おれは真ん中で

小さい頃からずっと「お前が一番可愛い」ってよく言われていた

ある時、実家に電話してばあちゃんと話をしようとした時

難聴になっていて話すことはできなかった

その年のお盆、実家に行き様子を確認しようとしたが家にいなく

母から「じっちゃのお墓参りに行ったよ」と聞き後を追った

背筋がピンしたままゆっくり向かってるばっちゃを見かけ

久々に声をかけた

「俺!久しぶりだな!」

少し心配だったがすぐ分かってくれた

見ていて姿勢はいいがどこか不安があって

手を繋いで歩いたのを覚えている

ばっちゃ「疲れた〜休みたい」

道中でしょっちゅう休みながら帰宅し

こんなにも変わったんだなーって感じた

やがて…両親も年取ってきたしばあちゃんもいつ何があるかわからない

そう思って東京から実家に戻り

後に思い出作りをする為にマジでツナを作った

あとは皆様が動画で拝見の通りでして

入院をきっかけにこの3、4年でみるみる変化があったものです。

実家に戻ってからは外に一回しか一緒に出かけられず

そこはちょっと後悔したけど俺なりに最後の最後まで悔いなく一緒に入れたかなって思っています

今度は俺が恩返しする番だと常に思っていたこともあって

むしろ実家に戻ってからの3、4年が一番ばあちゃんと居たし

よく話しました

気づけば96歳

【亡くなる2日前】

ほとんど笑う事もなくなり動くこともなくただ相撲の番組を見ている中

突然両手を俺に差し伸べてきました

俺も手を握り返し、顔を見てたら

「あったかい」と一言だけ

それが最後の言葉でした。

これだけ皆様に愛され

俺もばあちゃんも本当に幸せものだし

この感謝の気持ちは絶対に忘れません

2月6日 俺とばあちゃんの第一歩

今は写真を持ち歩き

一緒に出かけています。